三代目・中屋伝左衛門 のこぎり こうば紹介
|
当こうばは伝統の会津鋸を制作しております。 <2020年 8月現在は、在庫品販売のみとしています。> == 尺3寸 改良マド鋸(13,000円)は、即納できます。 ==
主に手曲がり鋸、果樹の剪定鋸、大工用両刃鋸、仮枠鋸を昔ながらの手法、 手段で仕上げていましたが、近年は手曲がり鋸を主としています。 機械での大量生産により販売されている品物とは違って、幾度も目立て直しをしての 使用に耐えられます。 刃渡り1尺2寸の腰鋸の先幅が2cmまで狭くなっているのを目にしたことが有ります。 会津の鋸は1590年代初期(藩主蒲生氏郷)に大阪、天王寺から受け継いでおり、 会津藩は 鋸、農鍛冶、刀剣、漆器、酒造、朝鮮人参、会津木綿、陶器などを 産業奨励策の一つとしました。 私の先輩鍛冶屋諸氏は、先ずは自分の生活の為に多大なご苦労をされたでしょう。 機能性の向上、品質向上への探求など、先人たちの御努力の積み重ねが、その後、 “全国に誇る会津のこぎり” を位置付けたと感謝しています。 |
|
|
明治から昭和30年代には刃渡り寸法が2尺を越える大きな鋸が数多く生産され、 樺太、北海道の開拓などにも大いに使用されました。 燃料として木材が殆ど使用されなくなり、間伐などの山林作業もなされなくなって のこぎりの需要は極端に減少しています。 私が高校生の頃には1尺3寸以上のものが多く生産され、「あたり前」であった サイズが、現在では刃渡り1尺〜1尺2寸サイズものの需要が多くなった為、 今では大きく感じられています。 とは言え、このHPを立ち上げてから近年見直されている薪ストーブ用にと、 少しずつ大きいサイズモノの御注文が増えてきています。 特に“マド鋸”を知らなかった方々には喜ばれていることを嬉しく感じています。 1尺5寸、1尺6寸の改良マド鋸を御注文なさる方が増えていることには 驚いています。 ありがたいことす。 |
* 当工場も最盛期には職人さん、お弟子さん等、10名以上で |
近所のお宅には迷惑なほど賑やかに仕事をしていましたが、 |
職人さんの老齢と将来性が望めないことで、新規増員もなく、 |
2代目も引退した今、私一人の細工場(さいくば)となっています。 |
まだ小学生だった息子が「自分は跡を継ぐのか?」と問うた。 |
「No!自分の道を歩け」と答えた私でした。 |
マド鋸 (窓鋸) |
|
北海道、樺太などの開発に需要の多かったマド鋸 写真は刃渡り寸法 2尺の鋸 |
|
マド鋸の目の拡大写真 大きく空いた部分に木屑が押し込まれ 外に運び出されるため,鋸の通りが良くなる |
|
細い木材用に、マド幅を狭く改良した{改良マド鋸}が 製作されて扱い易くなり、需要が増えた。 |
|
従来のマド鋸と改良マド鋸の違い 写真は尺8寸マド鋸(下)と改良マド鋸(上)の 目の部分を拡大した写真です マド(隙間)の幅に大きな差があります 狭くした事で突っ掛かりが少なくなります |
最近 マド鋸の受注が目立っています。 それも金物店からではなく,一般の方々からー―
「チェンソーは使いたくない」「街中で音が気になる」「どのサイズのマド鋸を選択すべきか?」と
メールでのお問い合わせが増えています。
木材の種類、状態、太さ等をお尋ねし、双方の納得が出来てから納品になります。
後日 使用された感想等、好評のメールが写真添付で届いています。
樹木から鋸、そして手に伝わる感覚は「チェンソーでは得られない感覚」とのメールも抜複数。
有り難い事です。
「チェンソーでは如何か?」と尺5寸改良マド鋸を お買い求めになり,大奮闘 !! 仕事ではなく 完全に アウトドアのスポーツですネ 鍛冶屋として感激です 2006.7 |
|
「普通の目の鋸とは、全く違う効率の良さを楽しめた! |
シャ-ク- シャ-ク-と聞こえた」との感想でした。 |
上記作業での作品の一部 通りがかりの人々が興味深げに, 懐かしげに見物し「やらせてくれ」と 鋸を挽いた方もあったそうです |
イベント会場にて
「滅多に体験できない」と 取り組む 小学生と若者 切り終えた後の笑顔が 輝いていた |
目 立 て | (やすりで目を摺り、刃をつけること) |
以前は目立て職人が全国にいらっしゃいましたが、需要が激減し生計が成り立たなくなったことで後継者もなく | |
次々と廃業をやむなくとなり、大工さん始め山林作業に関わる方にも支障が出ています。 | |
「良い鋸を使いたいが目立てが出来ないから」と、仕方なしに替え刃式の鋸を使用する羽目になっています。 | |
これが優れた鋸鍛冶屋の受注量減少となって、会津、三条、他の鋸鍛冶屋の廃業に至っているのが現状です。 | |
当こうばでは、目立てをさせて戴いております。 .送料ご負担となる事が気を重くします。 | |
ボランティア活動の数人分を まとめて送って下さる事が有ります。. 有り難いことです。 |
新たに製品を提供出来るようにする事を重視していましたが、昨年の”目立て講習会”の
講師として参加させて頂いた時に考えが変わりました。
目立て業を生業とは出来がたい今日では”目立て屋を増やす”ではなく
自分の鋸は自分で目立てを施すことが出来る人を増やすべきだ! と
考え方を変えました。
目立てが得意な人が出来たら、その人は他の人の鋸目立てをしてやることが出来ますね。
目立てを身に付けたい人の、お役に立てたら幸いです。
目立てを身に付けたいと、お考えの方に御覧戴きたいと動画をyoutubeにアップしています。
「目立て」「アサリ出し」検索でヒットします。
会津若松の鋸産業は昭和10年以降、東北地方、北海道、樺太などの開発と共に |
益々盛んになり、戦時中は品不足・人員不足となった程でした。 |
昭和29年頃にチエンソーが普及し全国の林業を大いに活性化させました。 |
しかし、昭和40年頃外国から安い木材が輸入され始めると、国内の林業は衰退の状況に |
陥りました。 しかし 近年になり,自然の恩恵が大きいこと、重要であることが理解され |
植林や管理が真剣になされるようになりました.。 |
当工場のある相生町(以前は大名行列が通った博労町)付近には鋸鍛冶屋が十数軒程(会津では30数軒)あった、 |
その要因は、付近から火を扱うための フイゴ(吹子)炉 作りに適した粘土が採取できたからだと思われる。 |
子供の頃に町内で遊んでいると鎚音が、あっちこっちから聞こえたモノでした。 |
※ 地方情報誌の記者 北見孝之氏が鍛冶屋仕事を取材 ※
鋼を一気に目指す薄さに削り込むようなことはしない。
削いでは歪みを取り, 又削っては歪を取る。
こうすることで使ったとき,刃先に生ずる摩擦熱を本体が吸収し,
鋸全体がバランスを失わない。 だから長持ちし, 切れ味の鋭さも維持される。
森林に生業を求める人達にとって,長く使い込まれたからこそ手になじむ鋸は,
なくてはならぬ分身と言えた。 すぐに切れ味が鈍る道具では仕事にならないのである。
そんな森の仕事師が急激に減った。 それに合わせ,取り次ぐ問屋も減った。
今, 会津で3代目中屋伝左衛門の鋸を並べる店はない。
誰のせいでもない。
遠方の贔屓筋と直接頼み込んでくる,決して多いとは言えない客が取引先だ。
何年前になろうか,手入れの不行き届きから錆だらけになった祖父の鋸を,
五十嵐さんに目立てしてもらった。
「いい鋸だから まだまだ使えますよ」 と言って,僅かな手間賃で切れ味を再現して戴いた。
「最近の安価な鋸は,こうはいかない.使い捨て感覚なんでしょう。売るほうも買うほうも・・・」
あくまでも穏やかな中に誰にぶつけるでもない無念を感じた。
会津に根付いた名門鋸鍛冶の業物は,抗しがたい時の流れの中に果たして姿を消すのであろうか。
それとも使い手たる本文と物の道理をわきまえた人々によって,
辛うじて子々孫々まで技が伝承されるのであろうか。
気の遠くなるような歳月をかけ,英知と共に鍛え込まれた熟練技。
こんな時代だからこそ, 我々は「いいもの」を後世に残す責任を担っているように思える。
2,002 Tunagi 冬号より
2018/nakaya