中屋伝左衛門 のこぎり こうば紹介

マド鋸     目立て仕事

  当こうばは伝統の会津鋸を制作しております。

主に手曲がり鋸、果樹の剪定鋸、大工用両刃鋸、仮枠鋸を昔ながらの手法、

手段で仕上げていましたが、近年は手曲がり鋸を主としています。

機械での大量生産により販売されている品物とは違って、幾度も目立て直しをしての

 使用に耐えられます。

刃渡り1尺2寸の腰鋸の先幅が2cmまで狭くなっているのを目にしたことが有ります。

会津の鋸は1590年代初期(藩主蒲生氏郷)に大阪、天王寺から受け継いでおり、

会津藩は 、農鍛冶、刀剣、漆器、酒造、朝鮮人参、会津木綿、陶器などを

産業奨励策の一つとしました。

私の先輩鍛冶屋諸氏は、先ずは自分の生活の為に多大なご苦労をされたでしょう。

機能性の向上、品質向上への探求など、先人たちの御努力の積み重ねが、その後、

“全国に誇る会津のこぎり” を位置付けたと感謝しています。

  明治から昭和30年代には刃渡り寸法が2尺を越える大きな鋸が数多く生産され、

樺太、北海道の開拓などにも大いに使用されました。

リンク北海道開拓記念館「メニュー」収蔵資料検索から“鋸”入力検索

 

燃料として木材が殆ど使用されなくなり、間伐などの山林作業もなされなくなって

 のこぎりの需要は極端に減少しています。

 

私が高校生の頃には1尺3寸以上のものが多く生産され、「あたり前」であった

サイズが、現在では刃渡り1尺〜1尺2寸サイズものの需要が多くなった為、

今では大きく感じられています。

 

とは言え、このHPを立ち上げてから近年見直されている薪ストーブ用にと、

少しずつ大きいサイズモノの御注文が増えてきています。

特に“マド鋸”を知らなかった方々には喜ばれていることを嬉しく感じています。

 

1尺5寸、1尺6寸の改良マド鋸を御注文なさる方が増えていることには

 驚いています。  ありがたいことす。

 

当工場も最盛期には職人さん、お弟子さん等、10名以上で

近所のお宅には迷惑なほど賑やかに仕事をしていましたが、
職人さんの老齢と将来性が望めないことで、新規増員もなく、
2代目も引退した今、私一人の細工場(さいくば)となっています。
まだ小学生だった息子が「自分は跡を継ぐのか?」と問うた。
「No!自分の道を歩け」と答えた私でした。寂しい限りです。

  

 

マド鋸 (窓鋸)

 北海道、樺太などの開発に需要の多かったマド鋸

    写真は刃渡り寸法 2尺の鋸

マド鋸の目の拡大写真

  大きく空いた部分に木屑が押し込まれ

  外に運び出されるため,鋸の通りが良くなる

マド鋸の種類

細い木材用に、マド幅を狭く改良した{改良マド鋸}が

製作されて扱い易くなり、需要が増えた。

従来のマド鋸と改良マド鋸の違い

写真は尺8寸マド鋸(下)と改良マド鋸(上)

目の部分を拡大した写真です

マド(隙間)の幅に大きな差があります

狭くした事で突っ掛かりが少なくなります

 

最近 マド鋸の受注が目立っています。 それも金物店からではなく,一般の方々からー―

「チェンソーは使いたくない」「街中で音が気になる」「どのサイズのマド鋸を選択すべきか?」と 

メールでのお問い合わせが増えています。

木材の種類、状態、太さ等をお尋ねし、双方の納得が出来てから納品になります。

後日 使用された感想等、好評のメールが写真添付で届いています。

 樹木から鋸、そして手に伝わる感覚は「チェンソーでは得られない感覚」とのメールも抜複数

有り難い事です。

 

   

「チェンソーでは如何か?」と尺5寸改良マド鋸を

 お買い求めになり,大奮闘 !!

  仕事ではなく

 完全に アウトドアのスポーツですネ 

 鍛冶屋として感激です 2006.7 

普通の目の鋸では効率が悪いのですが,マド鋸ですと思いの外,

はかどります. シャー  クー シャー  クー と聞こえそうです

 

上記作業での作品の一部

通りがかりの人々が興味深げに,

懐かしげに見物し「やらせてくれ」と

鋸を挽いた方もあったそうです

イベント会場にて

「滅多に体験できない」と

取り組む 小学生と若者

切り終えた後の笑顔が

輝いていた

 

目 立 て  (やすりで目を摺り、刃をつけること)
  以前は目立て職人が全国にいらっしゃいましたが、需要が激減し生計が成り立たなくなったことで後継者もな
  次々と廃業をやむなくとなり、大工さん始め山林作業に関わる方にも支障が出ています。
  「良い鋸を使いたいが目立てが出来ないから」と、仕方なしに替え刃式の鋸を使用する羽目になっています。
  これが優れた鋸鍛冶屋の受注量減少となって、会津、三条、他の鋸鍛冶屋の廃業に至っているのが現状です。
  当こうばでは、目立てをさせて戴いております。   .送料ご負担となる事が気を重くします。
  ボランティア活動の数人分を まとめて送って下さる事が有ります。.  有り難いことです。   

新たに製品を提供出来るようにする事を重視していましたが、昨年の目立て講習会”の

講師として参加させて頂いた時に考えが変わりました。

目立て業を生業とは出来がたい今日では目立て屋を増やす”ではなく

自分の鋸は自分で目立てを施すことが出来る人を増やすべきだ! と

考え方を変えました。

目立てが得意な人が出来たら、その人は他の人の鋸目立てをしてやることが出来ますね。

目立てを身に付けたい人の、お役に立てたら幸いです。(2015)

 

会津若松の鋸産業は昭和10年以降、東北地方、北海道、樺太などの開発と共に
益々盛んになり、戦時中は品不足・人員不足となった程でした。
昭和29年頃にチエンソーが普及し全国の林業を大いに活性化させました。
しかし、昭和40年頃外国から安い木材が輸入され始めると、国内の林業は衰退の状況に
陥りました。  しかし 近年になり,自然の恩恵が大きいこと、重要であることが理解され
植林や管理が真剣になされるようになりました.。

 

当工場のある相生町(以前は大名行列が通った博労町)付近には鋸鍛冶屋が十数軒程(会津では30数軒)あった、
その要因は、付近から火を扱うための フイゴ(吹子)炉 作りに適した粘土が採取できたからだと思われる。
子供の頃に町内で遊んでいると鎚音が、あっちこっちから聞こえたモノでした。

 

   

※ 地方情報誌の記者 北見孝之氏が鍛冶屋仕事を取材 ※

 

鋼を一気に目指す薄さに削り込むようなことはしない。

削いでは歪みを取り, 又削っては歪を取る。

こうすることで使ったとき,刃先に生ずる摩擦熱を本体が吸収し, 

鋸全体がバランスを失わない。 だから長持ちし, 切れ味の鋭さも維持される。

森林に生業を求める人達にとって,長く使い込まれたからこそ手になじむ鋸は, 

なくてはならぬ分身と言えた。  すぐに切れ味が鈍る道具では仕事にならないのである。

 

そんな森の仕事師が急激に減った。 それに合わせ,取り次ぐ問屋も減った。 

今, 会津で3代目中屋伝左衛門の鋸を並べる店はない。

     誰のせいでもない

 遠方の贔屓筋と直接頼み込んでくる,決して多いとは言えない客が取引先だ。 

何年前になろうか,手入れの不行き届きから錆だらけになった祖父の鋸を, 

五十嵐さんに目立てしてもらった。

「いい鋸だから まだまだ使えますよ」 と言って,僅かな手間賃で切れ味を再現して戴いた。

「最近の安価な鋸は,こうはいかない.使い捨て感覚なんでしょう。売るほうも買うほうも・・・」

あくまでも穏やかな中に誰にぶつけるでもない無念を感じた。

会津に根付いた名門鋸鍛冶の業物は,抗しがたい時の流れの中に果たして姿を消すのであろうか。

それとも使い手たる本文と物の道理をわきまえた人々によって,

辛うじて子々孫々まで技が伝承されるのであろうか。

気の遠くなるような歳月をかけ,英知と共に鍛え込まれた熟練技。

こんな時代だからこそ, 我々は「いいもの」を後世に残す責任を担っているように思える。

2,002 Tunagi 冬号より

 

 

 

2015/nakaya

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