かじやの部屋

会津の「中屋」鍛冶年表へ
       
   ページ内リンク テレビで紹介      

 

3年前、嬉しい事がありました!     

県の森林・林業・緑化協会から「森づくり大賞」の新設された「森林文化振興部門」の大賞を受賞したのです。

この仕事を継いでいくか?」と考えている時期は、「自然災害は山の木を伐採するからだ!」

「鋸鍛冶屋は自然破壊の道具を作って生業としている!」

・・・・ そんな声が広がっている時代でした。

単なる伐採管理する意義の伐採は全く異なる。 山の管理は海の環境に大きな貢献をしている。

・・・・ これらの声は、まだまだ小さいものでした。

ボランティア活動で森林・里山などで地道に汗を流してくださっている

多くの方々の活動が徐々に認められて、広がりに繋がりました。

 

この事が今回の受賞に繋がった! と感じています。

受賞の壇上で頭に浮かんだのは子供のころから目に入っていた多くの鍛冶屋職人さん達でした。

先輩みなさ〜ん、鋸は自然破壊の道具では無いと認められましたよ!

この気持ちで賞状を頂戴しました。

帰宅後、仏壇に報告してからの晩酌は家族と居酒屋でした。

有難うございます。

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2018・2・16  福島産業賞・福島民報奨励賞を受賞しました。

企業の大小、独りの営みに係わらず審査にあたった!」とは

授賞式当日の開会式挨拶に述べられた言葉でした。

沈み込んだ福島県の産業発展に貢献している企業・団体・グループが多い中、

たった独りで進めている私の行動を認めてくださった、審査員の方々に

強い敬意を、いだきました!

喜びは有りますが、はるかに強く受け止めたのは”責任あり!”でした。

先から引っ張り・後ろから押し進めてくださる 大きな力になりました。

まだまだ 75歳。

Youyubeに目立てに係わる動画を数本、アップしています。

これは、受賞を知ってから進むべき方向を模索した結果、始めた事です。

反響もあって、張り合いが出ている今日この頃です!

 

左)立派な

  、、、、 の  

 ようだがーー

   右)未整備


山を考える
現在、日本の山々は手入れがなされずに放置    しかし昭和30年代中頃から安い材木が外国から
されている状態です。計画性を持った植林をし    輸入され始めると、人件費の高い日本では採算が
下草刈りや枝払い(剪定)そして間伐をすること    合わない理由で、山に必要な手入れがなされない
により良質の木が育つのですが、残念ながら    ようになりました。
時間、手間、費用をかけて生産すれば当然の    木と木の間隔が狭く根っこが広く張れない上に
事ながら高価な木材となり外国から輸入されて    日差しが不十分で生育が遅れ風雨により簡単に
いる安価な木材に価格の面で太刀打ちできない      倒れてしまう。 土砂崩れの原因にもなります。
のが現状です。四季がある環境で、じっくり長い    手入れをしない荒れ放題の森は滅びてしまいます。
時間をかけて育つ日本の木は良質なのです。    山が山としての機能を持てなくなってしまいます。
木材収入を得るべく自然の樹木を切り倒し、    しかし、現状に危機感を強く感じた多くの方々が
山を木の畑として、生育の早いや寒冷地に    「何とかせねば!」と活動していらっしゃいます。
適したカラ松が日本中の山に植えられました。    皆様に 感謝感謝

スギ花粉症    
近年,花粉症に悩まされている人が多い事から,   杉材の需要が多ければ順次植え替えれば事が
花粉の少ない品種の杉を植林する動きがある.   済むといえる.  ところが国産材は高価である.
しかし その為には現在の杉を伐採しなければ   結局は荒れ放題から朽ちるのを待つしかないか?
ならないが費用が掛かる.   花粉症には辛い日々が続きます.
林野庁が動いた    
花粉症対策の一環として、花粉の少ない杉の   お役人の中にも花粉症に悩まされている人が
苗木供給を現在の年間9万本から今後10年で   多いからか? −−−−とは失礼
100万本に増やす目標を立てた。   遅かりしとは言え 有り難いことではーー有ります。
   

2007/1/12 


 森林文化のくに.

   ふくしま県民憲章 

この度本県では県民憲章が

制定されました(平成17年度)

第1章 森林を敬いあらゆる命を尊びます 第1章

☆ 森の中で生き物たちが、お互いに助け合っていることを

    学び、 その命を大切にします

☆ 山での火の始末はきちんとします

☆ 森林にあるごみを拾いごみを森林に捨てません

☆ 森林への優しさを忘れず、森林とあらゆる生命を大切にします

☆ 豊かな森林を守るため、無駄な開発をしません

 

第2章 森林にふれあい、心豊かに生きます

第3章 森林の恵みに感謝し、活かします

第4章 森林を守り育て、未来につなぎます

(第2章以下 略)

         鍛冶銘 中屋伝左衛門 の紹介

 初代

中屋伝左衛門

 2代目

二代目 

中屋伝左衛門

三代目

中屋伝左衛門

  

                    初代 中屋伝左衛門  
本名 千代治 明治21年生まれ。重左衛門系の 3代 中屋忠左衛門の1番弟子となる。
 年期明け後、暫く職人として勤めていたが、やがて現在地に独立し、千代治の祖父であり
 会津藩士であった五十嵐伝左衛門の名を取って中屋伝左衛門を鍛冶銘とした。
 生来温厚な性格で人当たりも良く仕事熱心であり主唱者となって大工鋸の同業組合を
 作り代表を務めています。 日中戦争時の昭和13年に53歳の働き盛りに没しました。
  

                  2代目 中屋伝左衛門

 
名を徳市。大正7年現在地で生まれ初代の元で大工鋸の修行をし、後に天王寺鋸を自習自得
 研究熱心の勉強家で地元の問屋相手では販路が狭いと越後の問屋に製品を販売したり
 熱処理に電気炉を使うなど機械化に熱心でした。3代目が高校を卒業後、人手が欲しい中
 三条市の鍛冶屋へ修行に出してくれました。80歳半ば、"ワープロ大好きっ子" 状態!!でした

絵が得意だったようで、上の初代伝左衛門の肖像画は徳市が描いたモノ

    

平成12年敬老の日放映のTV取材を受ける2代目。     右は 鞴(ふいご)にてマド鋸をなましている2代目  

米寿を迎えた頃はワープロを扱えなくなり寂しそう      手前の扇風機は熱気飛ばし

                 

                 3代目 中屋伝左衛門

 
名を征一。 昭和19年生まれ。高校卒業後三条市の鋸鍛冶 伝統の「深沢伊之助家」の分家である
深沢一二氏に弟子入り。年期明け、お礼奉公後、会津に戻り家業に従事、現在に至る。

1997年テレビにて紹介された3代目

一昔前 若かった。 この頃の”元気”が欲しい

2008年 会津に残っていた2軒の鋸鍛冶屋の内、私を残して一人が廃業!
現在 ついに会津で最後の鋸鍛冶屋になってしまいました。
「最後の独りとして止めるのは悔しい! 先人職人さんに なんて言い訳しようか? 寂しい。    
このホームページを作り始めた時点では「廃業準備」であったのに、その後の全国あらゆる地域から
問い合わせのメールや電話を頂戴することになった。
「未だ欲する人が存在する!」・・・・問屋相手では判らなかった事で 驚きでした。 
多様な要望を持った、個人と対面製作が出来るんです! 役に立てるぞ!
 ・・・・・市販されていない種類を主に製作することにした
幸いにも使わないままになっていた ”黄紙材” を活用出来ることになった

需要が激減し、職人諸氏の仕事が継続出来なくなり・・・廃業

見栄えがしない、格好が悪い、そんな道具が少なくなっている

マド鋸、ガガリ鋸は勿論、一般的な腰鋸でも 納品後の感想を頂戴すると
「鋸がこんなに切れるとは思わなかった」、「早く このサイトに出会えれば良かった」
・・・・・など、身に余る好評メールや電話を頂戴するに至り、
「一般の人が鋸の知識を得るのはホームセンター」が時代の流れと感じた
運の良い人が良い道具に出会える。  世の中”運”は付き物ですね

上の「ホームセンターが時代の流れを 云々」について

ホームセンターを否定するものではない事はメールのやり取りの中で記すことが

多く有ります。  チェンソーと手挽き鋸は「一長一短有り」ですから、使い分けが絶対でしょう!

庭の木を一本だけ切るのに、高価な鋸は不要ですから。

 

 

1,996年栃木県矢板市で開催された

全国育樹祭にて私が制作した剪定鋸を 

御使用の皇太子ご夫妻

 

本所立川 葛飾北斎 遠江山中

 前挽き大鋸が描かれている

右の絵では、木材の上で一人。

その下で一人。

目立てを、一人が。

  

振り返ってみますと !

1995年に廃業する前に「せめて会津に鋸鍛冶屋が存在した事だけでも周知させたい!との思いから

未だ光回線はもとより、ADSLも無く、電話回線でチョロチョロと通信が出来ていただけなのに

血迷ったか ?  ホームページ作成に挑み、ネット公開へと進めたところ、全国の方々からの反応に驚かされた。

 

以前は普通に使っていた各種道具が、手に入れられなくなって探している方々の目に入った。

結果、問い合わせのメールや電話を頂く事態となった事で「会津に鋸鍛冶屋有り !」は どうでもよくなり、

相談に応じたり顧客の顔が見える、対面販売を体験するかのようになりました。

 

その中で力を入れたのが、< 窓鋸 >を紹介・説明する事でした。

窓鋸を扱う職人さんたちが老齢化し、また、手挽き鋸よりも 効率良く目的を果たせる、機械に移行した事で

手挽き鋸が世に出なくなって、一世代が空いてしまい、窓鋸はその存在すら無くなっている様でした。

 

窓鋸を紹介・説明のページ作成に力を入れました。

刃の作りが、若い方々の知識とは異なっていますので、問い合わせを頂いてから納品に至るまで

メールのやり取りは写真添付を挟みながら、幾往復を重ねていましたが、これがまた、楽しくて仕方なかった私です。

納品から数日後に受信するメールが楽しみでした。

すぐにはスンナリとは挽けなかった人は、直ぐにコツを掴んでの朗報になり、友知人に紹介して下さる !

 

これが広がり、マドの角度や幅を調整する事なども加えて、益々窓鋸の存在が周知されて行くのを実感しました。

ヤフオクの出品として、見る事が無かった窓鋸でしたが、今はどうでしょう !

物置に眠っていた、金物屋さんの店頭にも出されないでいた、各種鋸が数多く出品されています。

 

窓鋸に限らず、縦挽き鋸前挽き大鋸もが、日の目を見る状況になっています。

目立てについても、YouTube動画で紹介しており、挑戦している方々の反応も頂いています。

 

私の役目は、これで充分に果たせたと自負している 伝左衛門です。(自己評価)

2021/10/24

 


2016/ nakaya

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